「思い出すこと」一覧
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三十 日本酒の受難と復活
鎌倉の小町通りに、「奈可川」という小料理の店がある。小林秀雄先生行きつけの店のひとつで、私たちも何度も連れていってもらったが、この店で先生のいちばんの目当ては……
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08 手紙と映画館が消えたのちに
小説であれ随筆であれ、新しい本がでたと知ると、すぐ本屋に向かう。そんな作家が私にもわずかながらいて、そのひとりが山田稔なのです。 家にもどって、ときには家に……
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二十九 小林先生の酒
小林秀雄先生は、酒がたいへん好きだった。それも、日本酒である。 召し上がるときは、必ず燗(かん)にされた。日本酒は燗にして飲むようにできている、燗にしてこそ……
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会社の消滅とAIノマドの時代……の前に
第四次産業革命は、すでに起きている情報革命の進化形と考えることができる。コンピュータができました、インターネットができました、Wi-Fiが普及しました、誰もがパソ……
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横浜篇――建物、人間の忘れ物 その3
横浜の旧遊郭街、永楽町・真金町をあとにして、つぎに石内都と私が向かったのは山下町である。この町の一角にあった高級アパート「互楽荘」を石内が撮り始めたのは一九八……
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ぼくのプログラマー回顧録 その4
クラッキング事始め 私が学生の頃、友達の間で流行っていた「悪戯」についても触れておきたい。それは、友達のパソコンの画面にニセの画面を仕込んで、パスワードを盗む……
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「パンダ」という名の喫茶店
僕が入学したのは1979年だった。大学に入り早々に酒の洗礼に会い、またギター部の美しい先輩方と土曜の練習のあと珈琲タイムがあり、僕の青春はようやく青春らしくなって……
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二十八 「詩」とは何か
昭和五十年代の半ば、大学入試問題の見直しについて議論が起ったとき、丸谷才一氏が小林秀雄は入試に出すな、小林の文章は悪文だと書いた、これを伝え聞いた小林先生は、……
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ぼくのプログラマー回顧録 その3
プログラミングの超簡単な言い回し 読者の多くは、実際のプログラムにあまり接した経験がないかもしれない。そこで、プログラミングができる方には読み飛ばしてもらうと……
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ぼくのプログラマー回顧録 その2
FORTRANから広告代理店相手の商売へ ほとんどの人間の知的な営みと同様、プログラミングも最初は他人のプログラムを真似ることから始まる。それは教科書に載っている短い……
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変わりゆく街、変わらないもの
(前回まで)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。1956年からずっとコザでレストランを営んできた。 出来る……
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二十七 詩を書いているんだよ
昭和三〇年代から四〇年代にかけて、小林秀雄は大学入試の出題数で毎年御三家の一角を占めていた。他の二家は『朝日新聞』の「天声人語」と夏目漱石である。ところが、五……
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ぼくのプログラマー回顧録 その1
堅苦しい話が続いたので、しばし、「プログラミング」のオールドタイマーの話をしよう。竹内薫プログラマー回顧録である(笑)。 そもそも私はパソコン好きが高じて、……
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- まなぶ
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キャッチャー・イン・ザ・法学部
今の職場に来て間もなくだったと思う。何か他の話をしている際、同僚からぽつりと「僕たちは、ライ麦畑のキャッチャーだからねえ」と言われたことがあるのを覚えている。……
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酒・珈琲・女学生、時々ギター
ようやく大学に入り、念願の動物心理学を学ぼうと思っていた俺だが、人生にはもっといろいろ楽しそうなことがあるのであった。桜の花びらが散る中、俺はクラシカルギター……
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二十六 叱られた思い出
新潮社に入り、小林秀雄先生の係を命じられてから二年あまりが過ぎた昭和四十八年(一九七三)の秋であった、PR雑誌の『波』に、先生の新春談話をもらうことになった。 ……
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06 本を読む天皇夫妻と私
まもなく明仁天皇が退位の時をむかえる。そのことを知って――いやそれよりも、昨2016年8月、テレビ放送でいわゆる「おことば」にせっして、といったほうがいいかな。 ――……
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二十五 真の良師とは
隆慶一郎(りゅう・けいいちろう)さんも、小林秀雄先生を「先生」と呼んでいた。私が妬(や)けるほどの思いをこめて「先生」と呼んでいた。隆さんは、昭和五十九年(一……
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05 コロンビアロード花市場で花結い師T……
うちの実家は西陣の髪結いでした。けれど紺屋の白袴(しろばかま)と申しましょうか、わたしは髪を染めたこともパーマをかけたこともありません。それどころか凝った髪型……
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コザが燃えた夜―1970年、コザ暴動
(前回までのあらすじ) 「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。奄美の喜界島出身で、沖縄戦の生き残りでもある。1950年からコザの八重島……
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二十四 「先生」について
おかげでこの小文も、連載を始めてから満一年を迎えることとなった。小林秀雄先生の晩年、私は先生の本を造る係として先生の身近にいさせてもらったが、その間腐心したこ……
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二十三 模倣の実践
前回、小林秀雄先生は、何事もまず「まねよ」だった、人間は、頭で覚えるより先に身体で真似る、そこから始めるように造られている、したがって、人間生活のあらゆる面で……
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二十二 模倣について
八月六日、七日と、七夕でにぎわう仙台へ行ってきた。 毎年この時期、仙台の河合塾では何人かの講師を外から招き、「知の広場」と銘打って、当面の受験には必ずしも直……
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親父とギターと発情と
慶應義塾大学の教養課程は、日吉(神奈川県)にある。東横線は、今では地下に潜ってしまったが、俺が大学生だったころは、渋谷の地上にあった。俺は恵比寿から中目黒まで……
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MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥

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