「思い出すこと」一覧
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三十六 不動心という誤解
学問とは、人生いかに生きるべきかをとことん考えることだ、そのためには、身の回りのことで誰もが知っていることをより深く、より精しく知ることから始める、それが学問……
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三十五 「学問」の姿
今年の大学入試センター試験に、本居宣長の「石上私淑言」(いそのかみのささめごと)が出た。前回、読者にもその問題文を読んでもらい、受験生諸君には、春、晴れて大学……
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月300冊の読み聞かせ
幼い頃、母は絵本の読み聞かせにこだわる人だった。人を無為に傷つける人間とならないよう、内面を豊かにするには絵本が必要だと思い立ったらしい。その数は月に300冊、1……
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純粋な動機
1980年代前半、学生の政治意識は低く、学生運動は沈静化しており、大学は社会人になるためのモラトリアム期間であることがほぼ公然と認められていた。これを「大学のレジ……
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三十四 情と欲のわきまえ
今年の大学入試センター試験に、本居宣長の「石上私淑言」(いそのかみのささめごと)が出た。「次の文章は『石上私淑言』の一節で、本居宣長が和歌についての自身の見解……
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10 古典が読めない!
私がある本をえらぶのか、それともある本が私をえらぶのか。いずれにせよ、近ごろは、じぶんとおなじ年ごろの70代から80代ぐらいの人たちが書いた本を手にとる機会が、め……
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三十三 天寿を磨く
前回、小林先生と井伏鱒二さんの酒の飲み方について聞いてもらったが、小林先生にも井伏さんにも可愛がられ、絶大な信頼を寄せられていた編集者に菅原国隆さんがいる。た……
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不純な動機
前回の予告通り大学時代の読書の話をしよう。代々木ゼミナールで有意義な時間を過ごした僕は、慶応義塾大学に補欠合格し、クラシカル・ギタークラブに所属した。ギター部……
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三十二 惜しいのは命だけだ
奥湯河原の「加満田」で毎年のように小林先生と年越しをし、毎週木曜日には程ヶ谷カントリー倶楽部でゴルフを楽しんだ批評家、中村光夫さんに、『≪論考≫小林秀雄』という……
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- 評論
横浜篇――建物、人間の忘れ物 その6
斉藤を知る手がかりがないかと、石内に記憶をたどってもらうと、こう言った。「そういえば、斉藤さんが親しくしていた俳優の高橋長英さんと一緒にお酒を飲んだことがあっ……
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三十一 小林先生の年越し
小林秀雄先生の年越しは、毎年、神奈川県奥湯河原の旅館「加満田」(かまた)でだった。 今ではもうよく知られている話のようだが、先生と「加満田」との縁は昭和二十……
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- こころ
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- 評論
横浜篇――建物、人間の忘れ物 その5
一九五二年四月、「サンフランシスコ講和条約」が発効した。これ以降、横浜市内で接収されていた地域・建物が徐々に返還されていく。その一方、約七〇ヘクタール(約二十……
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- くらし
- こころ
- ルポ
“伝える”よりも、“届ける”を目指して
風が木々の葉を揺らす音だけが、静かに響いていた。耳を澄ませても、波音は聞こえない。けれども目の前の校舎の柱は無残にへし折れ、黒板や辛うじて残る可愛らしい絵が描……
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- こころ
- エッセイ
そして、あの頃の歌たち
僕らのギター部はあくまで「クラシカルギター・クラブ」だったから、ナイロン弦を張ったなで肩のギターを持ちより、18-20世紀初頭までに作られた曲の合奏や独奏をするの……
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- くらし
- 世の中のうごき
- エッセイ
ご飯が大事
在沖米軍と一口に言っても、部隊によって街の雰囲気は違い、食べる量も違うそうだ。コザは嘉手納基地の門前町だから空軍(エアフォース)が多く、家族で住んでいる地上勤……
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- エッセイ
沖縄タコスの戦後史
(前回まで)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店「チャーリー多幸寿」の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。1956年創業のレストランをタコス専門……
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三十 日本酒の受難と復活
鎌倉の小町通りに、「奈可川」という小料理の店がある。小林秀雄先生行きつけの店のひとつで、私たちも何度も連れていってもらったが、この店で先生のいちばんの目当ては……
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08 手紙と映画館が消えたのちに
小説であれ随筆であれ、新しい本がでたと知ると、すぐ本屋に向かう。そんな作家が私にもわずかながらいて、そのひとりが山田稔なのです。 家にもどって、ときには家に……
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二十九 小林先生の酒
小林秀雄先生は、酒がたいへん好きだった。それも、日本酒である。 召し上がるときは、必ず燗(かん)にされた。日本酒は燗にして飲むようにできている、燗にしてこそ……
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会社の消滅とAIノマドの時代……の前に
第四次産業革命は、すでに起きている情報革命の進化形と考えることができる。コンピュータができました、インターネットができました、Wi-Fiが普及しました、誰もがパソ……
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- 評論
横浜篇――建物、人間の忘れ物 その3
横浜の旧遊郭街、永楽町・真金町をあとにして、つぎに石内都と私が向かったのは山下町である。この町の一角にあった高級アパート「互楽荘」を石内が撮り始めたのは一九八……
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ぼくのプログラマー回顧録 その4
クラッキング事始め 私が学生の頃、友達の間で流行っていた「悪戯」についても触れておきたい。それは、友達のパソコンの画面にニセの画面を仕込んで、パスワードを盗む……
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- エッセイ
「パンダ」という名の喫茶店
僕が入学したのは1979年だった。大学に入り早々に酒の洗礼に会い、またギター部の美しい先輩方と土曜の練習のあと珈琲タイムがあり、僕の青春はようやく青春らしくなって……
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二十八 「詩」とは何か
昭和五十年代の半ば、大学入試問題の見直しについて議論が起ったとき、丸谷才一氏が小林秀雄は入試に出すな、小林の文章は悪文だと書いた、これを伝え聞いた小林先生は、……
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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