「最後の読書」一覧
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35 わが人生の映画ベスト10 その2
むかし見て感動したからというよりも、死ぬまでにあと1度、いや、できれば2度か3度は見ておきたい。それを基準に「ベスト10」をえらぶことにした、と前回の終わりに書い……
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34 わが人生の映画ベスト10 その1
過ぎし春の某日、ベッドに横になって考えた。 ――暇だし、じぶんが生涯に見た「映画ベスト10」でもえらんでみるか。 なぜそんなことを思いついたのだろう。新型コロナ……
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33 「こんどは熱中症かよ」の夏(読書日記)
8月7日(金) 1938年生まれの私が、もっとも熱心に映画館にかよっていたのが1950年代から60年代にかけて――。 そしてこれは、つい最近、ちくま文庫で刊行された濵田研吾……
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32 新型コロナ下でカミュを読む
――アルベール・カミュの『ペスト』がベストセラーになっている。 4月15日、郵便受けからとってきた朝日新聞の夕刊で「感染症扱う小説や歴史書に注目」という見出しの記……
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31 かれが最後に書いた本(つづき)
(「29 かれが最後に書いた本」へ) 2019年11月、岩波書店から加藤典洋の『大きな字で書くこと』という本がでた。同社のPR誌『図書』と「信濃毎日新聞」で、ほぼ同時期……
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30 落ち着かない日々
この年始めに、ほかの人はどうあれ、私にとっては依然として若いままのふたりの友人――坪内祐三の急死と黒川創の「大佛次郎賞」受賞というできごとが、たてつづけに生じた……
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29 かれが最後に書いた本(読書日記)
白内障手術の結果、裸眼で、つまり眼鏡なしでも新聞が読めるようになった。老眼鏡をかけはじめたのが40歳代の前半だから、ほぼ40年ぶりの快挙ということになる。すでに歯……
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28 勉強読書のすすめ
絵本やマンガにはじまる「面白い本」ばかり読んでいた子どもが、成長するにつれて、しだいに「かたい本」や「まじめな本」を読むようになる。いや、なって当然、そうでな……
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27 もし目が見えなくなったら
この夏、メッケル憩室炎症という奇病で短期の入院をした。そのさい、場合によっては手術が必要になるかもしれないと、いろいろ検査をうけた。そこに眼の検査がはいってい……
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26 高級な読者と低級な読者
敗戦の年に小学校にはいり、その年末、樺太から祖父母とともに引き揚げてきた5歳上の叔父(母の末弟)のリュックの中にあった江戸川乱歩の『少年探偵団』を読んだ。それ……
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25 黄色いアロハの夏がきた(読書日記)
2014年、76歳の春に人生初の入院体験(胆嚢摘出手術)をして以来、この時期になると、心臓冠動脈のカテーテル手術とか、自宅の階段から落っこちて肋骨を7本折るとか、私……
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24 映画少年のなれの果て
スタジオジブリから『熱風』という小さな月刊誌がでている。しばらくまえ、そこで「読書の未来」という長いインタビューをうけ、それをきっかけに、毎号、雑誌を送っても……
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23 ひとりでは生きられない
多くのことがなんの予兆もなく、とつぜん生じる。しかも年をとり、からだの操縦システムが一つ、また一つと壊れてゆくにつれて、その「とつぜん」の度合いが増し、ついに……
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- エッセイ
22 黒い海の夢
死にたくはないですよ。でも若いころとちがって、死がとくに怖いとも思わない。おなじ時代を生きてきた連中が片っ端から消えてゆく。かれらとともに私も遠からず消滅する……
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21 往年の目力(読書日記)
ついこのあいだ傘寿と思ったら、4月にはもう81歳。そこでこれまでのやり方を変え、3回書いたら、つぎの回は「読書日記」にして、みずからに活かつ)を入れることにした……
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20 「どうしようもなさ」の哲学――『鶴見俊輔伝』を読む……
――1985年、私学会館での黒川創の出版祝いの場で、「あの本(梅棹批判文をふくむ私の評論集)は思想の科学社からはだせません」と鶴見俊輔さんに大声で宣告された。 そ……
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19 不良少年の目つき――『鶴見俊輔伝』を読む
あれは黒川創の最初の本『〈竜童組〉創世記』が出版されたときだったろうか。とすれば刊行が1985年12月だから、たぶん翌年のはじめごろ、市ヶ谷の私学会館(現・アルカデ……
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18 樹木希林と私たち
いましらべてわかったけれども、そうか、あれは1977年のことだったのか。あるテレビ番組で悠木千帆がじぶんの芸名を競売にかけ、それが売れたかどうかして、以来、樹木希……
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17 貧乏映画からさす光 その2
1953年に、北原怜子さとこの『蟻の街の子供たち』と松居桃楼とうるの『蟻の街の奇蹟』という2冊の本が、あいついで刊行された。 そして1958年、北原の死の直後に、あ……
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16 貧乏映画からさす光
私がものごころついたころの占領下の日本は、めちゃくちゃに貧しかった。焼跡をうろつく戦災孤児の群れ、ハデな安物をまとったパンパンのお姉さん、よれよれの兵隊服の男……
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15 でも硬い本はもう読めないよ
前々回でブコウスキーや鶴見俊輔の文章を引いて、老いの日常についてまわる糞尿の悩みについてのべたら、つい最近、またしてもふたつの実例にぶつかった。ひとつは、嵐山……
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14 少年読書回想
もう30年以上もまえのことになるが、新宿ゴールデン街の酒場で飲んでいたら、同行の友人が、カウンターのとなりに坐った男となにかぼそぼそと話しはじめた。話のようすで……
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13 いつしか傘寿の読書日記
読書日記は前回だけのつもりだったが、かんじんの4月6日(傘寿(さんじゅ)誕生日)にたどりつくまえに終わってしまった。だからどうというわけではないのですが、せっ……
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MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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「考える人」から生まれた本
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